名古屋OCDの会掲示板 2068649


強迫障害により

1:アロハ :

2011/03/08 (Tue) 08:46:18

この症状で家族、職場など周りの方に迷惑を掛け、信用をなくしつつあります。「行為を止め、すぐに動かなくては」と思う程焦り、行為が酷くなり時間に遅れたりしてしまいます。これ以上迷惑を掛けたくないので、結論としては仕事を辞めようかと悩んでいますが、私のように同じ思いをされてる方はみえますでしょうか?
2:ピコ :

2011/03/08 (Tue) 13:00:35




アロハさん

 「迷惑をかけ、信用を失くす」

まさにその通りですね。


 だから、「仕事を辞める。」

  なるほど、それも一つの結論ですね。
  
 
 だから、「迷惑をかけない。信用を失くさないようにする」
 という考え方もあるのではないでしょうか?
 

  仕事を辞めて、迷惑を掛けないで済みますか?
         信用を得ることはできますか?
  それができるなら、その選択肢もありでしょう。
  そんなことできるわけないですよね。

 迷惑を掛けないように、信用を得るようにするには
 どうしたら良いのでしょうか?

  今、思ったでしょう?
 「辛くても、行為を止め、すぐに動く」と・・・

 それを実行すれば、自分も、周囲の人も

   すべて幸せになれる。

  ただ、それだけ。

 何も失いません。
 逆に、得る物はものすごく大きなものですよ。


 どうもこの病気の人(私も含めて)は

  すぐに現状をマイナスになるように破壊したくなる傾向にあるようだ。

 
  
3:アロハ :

2011/03/08 (Tue) 14:52:09

ピコさん
ありがとうございます。「行為を辞める」。単純なことなんですよね。頭では理解していても、不快感さに負け行為をしてしまう。辞めれば幸せになれる。それも理解している。「思い切って進む」以外ないですね。冷静な時は自分のことを鼻で笑っているのですけどね...。
4:ベーシスト :

2011/03/09 (Wed) 15:36:53

アロハさん、今日は掲示板にてこんにちは(^^)
アロハさんに教えていただいたウォーキング、続けてますよ♪
先日の日曜日は2時間も歩きました。
嬉しい事に、体重が0.5kg減りました(^^)


仕事、絶対絶対絶対辞めない方がいいです!
というか、辞めてはいけませんです!!
後で死ぬほど後悔すると思います。
また、いったん避けてしまうと、これからの人生、
いろいろブチ当たるであろう問題が起こるたびに
逃げて生きなくてはならなくなります。
逃げて何もかもスッキリ楽になるならそれもアリですが、
大抵は、きっとどんどん自分がイヤになって、
自分が空しくなっていくと思います。

それから強迫性障害の症状のある人は、
日常のやらねばならない事を減らさない方がいいと思います。
仕事をしていれば、嫌でも強迫行為なしで、あるいは少ない強迫行為で
物事を進めなくては回っていかないから、
自分で儀式妨害の場をわざわざ設定しなくても、
必然的に儀式妨害しなくてはならない環境にいられるからです。
症状がひどい時は苦しいでしょうが、
結果的には良い訓練となります!

周りに迷惑をかける→だから仕事を辞める

というのは誤った判断だと思います。
私は集団療法の時に、岡嶋先生から
「迷惑をかける事も訓練」と教わりました。

迷惑をかける=仕事が進まないし、申し訳ないから責任を取って仕事を辞める

のではなく、それは建前で、大抵の場合は、

迷惑をかける=人が自分の事を良く思っていないのではないか?という不安に耐えられない
=だから仕事を辞める

という方が多いのではないでしょうか。

アロハさんの場合、これに当てはまるかわかりませんが、
もし当てはまるのだとしたら、心の底にある
「人から変な風に思われたらどうしよう?」という不安感を克服するためにも、
仕事は辞めない方が良いと思います。


強迫行為を辞めれば良いだけなのはわかっているのに、辞められない・・・

この辛さは、痛いほどわかります。
「辞めなくては!」と思えば思うほど焦って来て、不安が増して来て、
結局強迫行為を何度も何度も繰り返す羽目になってしまう・・・
私も7~8割は回復してきましたが、
まだいくつか不安で強迫行為をしてしまう事柄があるので、
アロハさんの心境は手に取るようにわかります。

ただ、回復していく中で思った事は、
「自分は、自分が恐れる『最悪の結末』が怖いのではなく、
実は『不安感や不快感が起こること』や『不安感によって生じる身体の変調
(例えば動悸とか息苦しくなるとか胸がザワザワしてギュッと苦しくなるなど)』
がイヤなのだ!」
という事がわかって来ました。
もし、自分が恐れる最悪の結果が実際起こったとしても、
不安感やそれに伴う身体の変調が起きなければ、
たぶん冷静にチャッチャと処理して解決していくと思います。
あるいは、冷静にあきらめる事が出来ると思います。
だけど、ゾワゾワと不安や不快感がわき上がってくるから、
その感触がイヤで、それを取り除くために
慌てふためいたり、パニックになったり、強迫行為をしてしまうんだと思います。
つまり、不測の事態に対する防御反応というよりは、
強迫行為に取り憑かれる人は、不安感や不快感に対する耐性が弱いのだと思います。
もちろん、脳の本来持っている本能の部分が作用しているから仕方がないとか、
脳内の神経伝達物質の働きが良くないとか、神経伝達物質が足りないとか
精神論では語れないフィジカルな側面もあるとは思います。
犬、猫、鳥などの動物でも強迫行為を発症する事実を考えれば、
肉体的な支障と考えられます(脳も肉体ですから)。

でも動物もそうだし人間もそうですが、経験値を重ねる事で
「慣れてくる」という事実があります。
「慣れの問題なの?」と思うかも知れませんが、
実際に体験して経験を重ねる事で、覚えて慣れて出来るようになっていく事が
動物の行動成長の過程では必然的に起こります。
玄関の敷居を怖がって飛び越せなかったペットの室内犬が一度ピョンと飛び越せた事によって、
その後飼い主に抱きかかえられなくても自ら玄関から外に出られるようになった、とか、
夜中に一人でトイレに行くのが怖くて親にずっと付き添ってもらっていたのが、
一度自分一人でトイレに行ってみたら、ちょっと怖いけど、
その後も一人でトイレに行けるようになった・・・など・・・

強迫観念から来る恐怖感は、他の人にとったら何て事は無い事でも、
自分にとってみたら生きるか死ぬかぐらい切羽詰まった怖さなので、
とかくクローズアップして大々的に取り上げて考えてしまいがちで、
故にその一大事な感覚を避けるために、強迫行為などをして
「恐怖の対象物から逃れる、避ける」行動を取ってしまいますが、
避けて味わわなかったら、一生避け続けなければいけなくなってしまいます。
理屈ではわかっていても、頭であれこれ「ああしたら良いのか、こうしたら良いのか」
と考えを巡らせていても、
実際に体験しないと獲得出来ないモノなのだと思います。
自分で行動療法を実践する中で、とても強くそう思いました。

私は一番最初になごやメンタルクリニックを訪れた時、岡嶋先生から、
「こうなったらどうしよう?という最悪のストーリーが問題なのではなく、
強迫観念が湧く事によって生じる動悸や過呼吸や手足の震えや
強烈な不安感を感じる事自体を、実は恐れているのだ。」
という事を言われました。
その時は、「う~ん、最悪の結末になるのが怖いから、
そうなるのが問題だから、不安になったり強迫行為をしてしまうんだけどなぁ・・・」
と、ちょっと腑に落ちなかったのですが、
治療を実践していくうちに、
「私が考える最悪の事態が実際に起こっても、そりゃあ困るし、悲しいし、辛いけど、
現実的に処理していけば、解決法はあるよなぁ。
よくよく自分を冷静に観察してみたら、何か事件が起こる事が究極のイヤな事ではなくて、
あらかじめ未来を悪い方に予想して、その事によって起こる不安感や、
胸がゾワゾワして身体が震えて来たりする感覚が実はイヤだったんだ!」
という事に気づきました。

なので、要は不安感や不快感が湧いた時に、それに対する耐性を付ければいいんだ、
という結論に達しました。
岡嶋先生がカウンセリング初回時に、
「心配ごとがいっぱいで、その心配を持ちきれないベーシストさんの心に対して、
何個も何個も重いバケツを持ってもらう(不安をいっぱい抱えてもらう)という
訓練をしていきます。」
とおっしゃったのですが、実際にやってみたらその通りで、
最初はとってもとっても苦しいけれど、怖くて避けていた事を思い切ってやってみたり、
何度も強迫行為をしたくて死にそうになっても、強迫行為をひたすら我慢しているうちに、
そんなに苦もなく強迫行為をしなくても過ごせるようになってきました。
私の場合は、本格的に儀式妨害を始めてから、
最初の一ヶ月くらいは本当に怖くて怖くて苦しかったし、
儀式をしない事でこんなにも苦しいなんて、
このままどうにかなってしまって、ますますおかしくなってしまうのではないか?
と思いましたが、それでも他に方法はないですし、
もう例え儀式を我慢する事で逆に狂ってしまったとしても、
我慢するたびにビクビクドキドキしてしまって一生苦しんだとしても、
何も試さないで現状のままずっと生きていくより後悔がないのではないか?と思い、
また実際に行動療法を実践して治っていった方が多々おられるわけなので、
今は苦しくても治るための苦しさだと思って信じて行動療法を続けた結果、
本当に少しずつ少しずつ良くなって来ました。

先程も書きましたが、まだいくつかは不安が強烈で強迫行為をしてしまう事柄もありますが、
それについても「怖くて出来ない」という事はほぼ無くなりました。
不安はよぎるけれど、とりあえず避ける事なく行動は出来るようになったし、
私の場合は確認強迫ですが、親に代わりに確認してもらう事もゼロになったし、
確認したとしても前みたいに何時間も確認し続けるという事は無くなり、
数回の確認で終われるようになって来ています。
サイフを使った後に本当にちゃんとカバンの中にサイフをしまったか、
サイフを開いた時にカードをうっかり落としてるのではないか、
カードをATMで使った時に本当にちゃんとカードを持って帰って来たか、
ゴミを捨てる時、ゴミだと思ったものが実はゴミじゃなくて重要な物だったんではないか、
自分が今捨てようとしている物は本当はゴミじゃなくてキャッシュカードなんじゃないか、
というのが、まだ残っている症状で、
サイフやカードがちゃんと手元にあるか現在でも何度も確認してしまうし、
ゴミを捨てるたび、手に持ったゴミをジィーっと見つめて捨てるまでにしばらく掛かりますが、
それでも前みたいに怖くてサイフがカバンの中から出せなかったり、
銀行の看板やCMを見るだけでも心臓がバクバクしたり、
銀行に近寄るだけでも怖くなってATMを使うなんてもっての他だったり、
ゴミを捨てる事が出来なくなってしまって親に代わりに捨ててもらったり、
ゴミ箱を見るだけで震えて来てしまう、なんて言う事は無くなりました。

強迫行為をやらないように我慢(我慢という言葉はセオリーとしては用いない方が
良いのかも知れませんが、私個人的にはやはり「我慢」は必要不可欠だと
実際体験してみて思います。イヤな事をあえてやるわけなので、
多かれ少なかれ我慢する事になると思います。
専門的な事は知識がないので何とも言えないですが、私の実体験に則して言うと、
あくまで個人的な感想ですが、そう思います)する事によって不快感が生じるので、
大抵の場合はそこで挫折してしまうわけですが、
日常生活をスムーズに送るためには結論として、
その不快感や不安感への耐性を付ける事が肝要であり、
ひいてはその事が病気の克服に繋がっていくので、

「不安や不快感を、あえて味わう。どんなに不快でも逃げずに味わいつくす。」

という風にあえて実践していきました。
イヤな事なんて誰もやりたくないですし、出来れば避けて通りたいですが、
この病気を治したい以上、もうやるしかありません。
行動療法する事によって味わう苦しみは、病気を治していく上で
必ず通らなければならない関門だと思います。
いつの間にか知らぬうちに治った…という場合もあるかも知れませんが、
これだけ長期間苦しんで、まるでトラウマみたいになっている事が
そうそう簡単に自然にコロッと治る事はないように思います。
強迫を患ってしまった者にとっては避けることの出来ない通過儀礼だと腹をくくって、
おっかなびっくりででも、当たって砕けろででも、
とにかくこの関門を通らねばならないのだと思います。

いつかは通らねばならない道ならば、思い悩んで逡巡しているだけ時間と労力の無駄、
もう腹を据えて、とっとと通っちゃった方が良いように思います。
通る際に味わう苦しみは相当苦しいですが、無駄な苦しみではありません。
このまま苦しくて、この一つを我慢したために、今日一日が丸々苦しい日になってしまうのでは?
と思ったとしても、これから先の長い人生を楽しく過ごしていくために、
一日や一週間や一ヶ月くらい苦しくても仕方ないです。
この苦しさを辛抱する事でさらに悪化する事も死ぬ事もないです(^^)
一回我慢出来たら、とにもかくにも一回出来たという事実が残ります。
事実が残れば絵空事ではなくなります。
ビクビクしながらでも命からがらでも「やれた」のですから、
次回もやろうと思えば出来るハズ…となっていって、
むしろ「一回やれたんだから、今後のためにも後には引けない!」となってきて、
どんどんと何回もチャレンジするようになっていきます。
時には上手く行かない時もあるけど、人間、生身なので波があるのは当然で、
一回一回の結果に一喜一憂しないで、粛々と実践を続けていきます。
そうするうちに、今までやれなかった事がだんだん出来るようになります。


アロハさんは、冷静な時は自分の事を笑ってしまうとの事なので、
自身に対する客観的な視点もお持ちなのだと思います。
だからなおさら、やれると思うし、治せると思います。

「出来る、出来ない」「自信がある、ない」「やれる、やれない」ではなく、
「やるか、やらないか」だと思います。

どんなブザマな姿をさらしてでも「やった」者は必ず前に進めます。

先生によると、悪い習慣となってしまったもの(強迫行為)を平気な気持ちで
やらなくても済むようになるには、今までの治療結果の統計的に
大体3ヶ月くらいの時間を要するとの事です。
人によっても、症状の程度によってもその日数は異なるでしょうが、
もうダメでもともと的な気持ちで、とりあえず3ヶ月苦しむ腹づもりで
覚悟を決めてやってみてはどうかな?と思います。

「思い切ってやるだけ!」とわかっていても出来ないのは、
たぶん本当には思い切ってないからだと思います。
言い方が悪くてすみません…適切な言葉が思いつかなかったもので…
でも、自分がそうだったので、あえてそういう風に書いてみました。

「よし!やれ!」とどんなに心の中で唱えても、身体を動かさない事には出来ません。
動かしたいのに動かせないのは、機能的に動かないのではなく、
動きたくないとどこかで思ってしまっているからだと思います。
強迫行為をやらずに立ち去るのがやはり不安だからです。
だから、もう心の声は無視して、とにかく強迫行為をやりたくなったら、
もう無条件にその場を立ち去ってしまうのです。
引き返したくなっても、ここで引き返したらいつもの自分に舞い戻ってしまうと考え、
脳天がクラクラしようが不安で吐いてしまおうが、
もう破れかぶれでもその場を立ち去ってしまうのです。
「思い切って」と言っているうちは、まだまだ本当の覚悟が足りないのかも知れません。
もう、そんな理屈も言葉もなく、とにかく無条件に立ち去ってしまうのです。
怖さも不快感も存分に味わいながら、とにもかくにも次にやらねばならない事を
無理矢理にでもやってしまうようにするのです。

私自身、サイフを使う時やゴミを捨てる時は、今でも本当に怖くて苦しいです。
昔はずっと、避けて出来ませんでした。
でも、今はむしろ「怖いのが苦手なら逆に怖さを味わってやれ!」と思って、
ガンガン買い物にも行くようにしましたし、ゴミもバンバンわざと捨てるようにしています。
確認しなくても平気な時もありますし、
何時間も確認、という事は無くなったものの、10回くらい見てしまう時も結構あります。
私にはまだ、この「二大怖い物」が存在しますが、
他の怖くて出来なかった事、何度も確認しなくては出来なかった事は
ほぼ無くなりました。
(洗濯物を確認なしでたたむ、引き出しに確認なしで物をしまう、一人で外出する、
一人で電車に乗る、人を無意識に殺してしまったのではないかと思ってしまい、
人とすれ違ったりする度に何度も後ろを振り返ってその人が無事かどうかを確認する事が
なくなった、戸締まりした後、確認しない、タバコの火を消し忘れたのではと確認しない…等)

他にも細かい事を挙げれば山のように出来るようになった事が増えたのですが、
どれもこれも出来るようになるまでには、それなりの苦痛、我慢がありました。
中にはやってみたら案外すんなり出来たものもありましたが、
多くは地獄の苦しみ的な我慢を経て、耐えているうちに慣れて来て、
怖いながらもかすかな「やればやれる」的な希望や、ちっぽけな自信やヤル気が出て来て、
そのうちだんだん「よし、これもチャレンジしてみよう」
「確認ゼロは無理だけど、せめて3回に減らしてみて、3回確認しても不安な場合は、
どうせその後何度もやっても不安なんだろうから、怖くても何でも3回で辞める!」
と決意して、とにかく無理矢理にでも実行していきました。

「怖いよー、確認に戻りたいよー、確認しないと不安で不安でいられないよー」と
心の中の私ががむしゃらに訴えて来るのですが、
もう一人の「客観的な自分」を発動させて、
「はいはい、怖いんですか、そうですか。そりゃ大変ですね。
ま、しのごの言ってないで立ち去る、立ち去る!」と、
観念に負けまくる自分の言う事に耳を傾けず、自動的にその場を去るようにしました。
戻りたくなっても、キッパリと戻らないようにします。
心の声を無視するかのごとく、もう無条件に身体を動かすようにしました。

サイフやゴミ捨ても、やり続けているうちに絶対克服出来ると思っています。
もうあと一歩、そのあと一歩が山なんですが、そこを越えればすんなり出来るように
なると手応えがあります。

アロハさんもきっとやれば出来ると思います。
「思い切って」やるというよりかは、「無条件に」やるって感じです。

しかし、いざ自分一人で実行するのは、相当な決意が必要だし、
実行する場を設定するのも、なかなか自分自身に対して強制的にはやれません。
だからこそ、そういう儀式妨害の実行の場を設ける意味でも、
仕事は絶対辞めない方が良いと思います。

というか、理由が「強迫の症状によって周りに迷惑をかけるから」というのであれば、
100%辞めない方が良いとさえ思います。
仕事を辞めても根本的な解決にはなりません。
生きていくには経済活動をしなくてはならない社会のしくみになっている以上、
またそこに属している以上、何かしらの形で働かねばなりません。
だからここで仕事を辞めても、根本が解決しない限り、
次の職場でも同じ事を繰り返して、職を転々とする事になってしまうかも知れません。
仕事的に不満があるとか、待遇面でより良い会社を見つけたというならともかく、
対人関係や強迫が原因で辞めるのは、アロハさんの場合、
とても後ろ向きな選択になるのだと思います。
後できっと後悔すると思います。

いいんですよ、迷惑なんて多少掛けたって。
ちょっとくらい図々しい所がないと、良い仕事なんて出来なかったりします。
引っ込んでばかりじゃ、一生日の目を見れません。
ちょっとくらい遅刻したって、仕事の中身で実力を発揮すれば良いんです。
それに、わざとだらしなく遅刻してるんではなく、病気で遅刻するわけだから、
つまりは「仕事を辞める」ではなく「病気を克服する」事に重点を置けばいいんです。
治るまでの間、仕事なんてやりようによってはいくらでもやり方があります。
試せるものは全部試して、その上で結果が出なかったら、
その時、進退を改めて考えれば良いのだと思います。

という事で、長々と書いてしまいましたが(ごめんなさい)、
ピコさんもおっしゃってる通り、仕事は続けて、儀式妨害も
今度こそ本格的に実行してみて下さい。
100%完璧にとは行かなくても、日常生活がまあまあ普通になんとか送れる程度には
絶対回復していくと思います。

御自身でどうしても儀式妨害をするタイミングがつかめなかったり、
わかっているのにどうしても実行出来ない場合は、
もう一度、集団療法を受ける事もお勧めだったりします。
「一回経験して理屈はわかったのに、やれないんだから、
また集団をやっても変わらないのでは?」と思われるかも?知れませんが、
先生方が立ち会いのもとで、自分の症状に則したエクスポージャーや儀式妨害を
積極的にガンガン挑んでいく事で、本当の意味で覚悟が決まったり、
きっかけがつかめたりする事もあるのです。
「やっぱり、もうやるしかない!」と心の底から決意出来たりします。
私が実際そうだったので、参考までにお勧めしておきます(^^)♪
(私は10月に集団を受けて、それでも全然儀式妨害出来なくて、
余計に焦ってますます症状が悪化していったのですが、
もう最後のチャンスと思って11月に再び集団を受け直したところ、
心の底から覚悟が決まって、自宅においてもエクスポージャーと儀式妨害に
チャレンジする事が出来るようになりました)

アロハさん、もうこうなったら、言葉も理論も自信もやる気もいらないのです!
「ただもう、儀式をせずに、その場を去るだけ」です。
そこには恐怖しか無いかも知れませんが、そもそも怖い事をやるんだから、
怖いのが当たり前で、怖くない方がおかしいんです。
湧くのが当然な恐怖や不快感をわざと味わうように、自分をし向けて下さい。
わざとイヤな方、イヤな方に進んで下さい。
もう、それしか打つ手はないです。
耐えて耐えて耐えまくってみて下さい。
我慢はいけない、とは言いますが、我慢しなけりゃ出来ない事です。
「我慢はいけない」事を言い訳にしては、もはやいけません。
物を押せば負荷が掛かるのは当然です。
しかし、その負荷に対して押し返してくる反発力がある事も真実です。
その反発力(耐性)を鍛えていくんだと思えば、やりがいもあります。
筋トレと一緒です。
「ストレスはよくない」と世間では言われてますが、
逆にノー・ストレスだと負荷に対する力が弱ってしまいます。
抵抗力が無くなっていってしまいます。
ストレスは案外必要な役立つものだったりする事もあるんだと思います。
何事にも限度というものがありますし、能力にも限界はありますが、
儀式妨害をするって事においては、もはや限界ギリギリまで試す価値はあると思うし、
あえてこの言葉を使いますが、「頑張らなくては」やれない事だと思います。

「頑張る」という言葉は患者を追いつめるとか、使ってはいけないとか言われますし、
実際に病気や症状によっては、そういう言葉を使うのは厳禁なのだと思いますが、
強迫症状においては、何だかんだで「頑張らないと」解決出来ない事も多々あります。
頑張ったがために身体に力が入って緊張状態になってしまっては、
不安が増すので良くないですが、
気持ち的に、行動的に頑張らないことには、実際のところ始まりません。
と、個人的には思います。
他に良い言葉があればいいのですが、私の頭ではこの単語しか思い付きません(苦笑)
すみません・・・

建設的な意味において、是非とも頑張って下さい!
というか、儀式をしないように全力を傾けて下さい。
私も頑張り続けます!

同じ舟に乗ってしまった者同士、漂流まっただ中にいますが、
行くべき島にたどり着くために、お互い最善を尽くしましょう!

ほんとにほんとに、長くなってしまってごめんなさい。
岡嶋先生からの課題で「今年は短い文章で書けるようにしましょう」と言われたのですが、
とっても長くなってしまいました・・・
読みづらかったらほんとにすみませんです。
また、基本的に私の実体験に基づいての感想や考え方を述べたもので、
全ての人に当てはまるかはわからないので、
もしかヒントになるような事があったら、って感じでざっくり読んで下さいませm(__)m

じゃ、お互いエイエイオー!です。


5:アロハ :

2011/03/10 (Thu) 13:07:52

ベーシストさん。ありがとうございます。掲示板でしかお会いしていない私にここまでより具体的に分かりやすくお返事を頂き本当に感謝致します。ありがとうございます。今までその時その時に腹を決め「今から止めよう」と思い、その繰り返しで何も進歩がなかったのですが、この文章を読み吹っ切れたというか、とにかく「やるしかないんだな」と決心出来ました。ベーシストさん、ピコさん、原井先生、岡嶋先生をはじめ、家族、身内など周りの方に迷惑をお掛けしたことを恩返しするのはこの症状を治すこと(立ち向かっていく勇気)だなと改めさせて頂きました。不安や不快感に襲われた時に我慢をしてやるべき事をすれば皆さんが幸せになれると思い頑張ります
いい報告が出来るよう
1日も早く復活します。
6:エクレア :

2011/03/10 (Thu) 20:10:10

アロハさんこんばんは

私も苦しみながら働いている現状です。
症状が強いとすぐにでも早退して、そのまま辞めてしまいたいと思うのですが、
今辞めたら、二度と働けなくなるだろうな、と思い、辞めていません。
強い発作に耐えられず、気が狂ってしまったら、その姿をまわりに見られる、自分が精神疾患であることが知られてしまう、
それはとても恥ずかしい、だけど、そうなったらそうなった時だと言い聞かせて作業を続ける毎日です。
毎日しんどいです。だけど、何かが変わると思い、ただただ、朝がきたら出勤する、というのを続けています。
アロハさんのこと、応援してます。
朝が来たら出勤する、というのを続けましょう。共に毎日を淡々とこなしていきましょう。
淡々とでいいと思います。何かが変わるまで、やり続けましょう!
7:アロハ :

2011/03/10 (Thu) 20:43:02

エクレアさん。ありがとうございます。この病気は、「自分だけ何故こんなに苦しいんだ」とつい、思ってしまいますが皆さん同じ気持ちで頑張っているのですよね。普通というのは一番難しいかもしれませんが、楽しく過ごしていくことですね。お互い頑張りましょう。

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